漫同お宝発見2!!


●アニソン班

画:アニソン本(B6縦コピー:約100ページ)コンパ用に大量生産した歌本:表紙&裏表紙は元から無し。発効日1983頃?。

 アニソン班も正式な班活動ではありません。
アニソンは、漫同黎明期から好きなメンバーが、それはそれは沢山いました。
当時、カラオケにはアニソンなどない時代だったので、もう、あちこちで歌っていました。

◎与次郎アニソン
 夜、与次郎ケ浜のマリンパークの長〜い堤防の右端に皆で出かけ、深夜まで歌いまくりました。
大体、大学近くから歩いて行って着くのがPM8時頃。それからAM3、4時頃まで!
着くまで歌いながら行くので段々盛り上がっていく、あの高揚感がたまらなかった。
1.突然の雨降り
  近くの公園の土管の中で歌う!
  (これは響いていい感じ。「光速電人アルベガス」が、ガンガンよく響いた!)
2.御巡りさんに声をかけられた
  「君達、飲んでるの、ご機嫌だね!」
  「え〜、コンパの後で(ウソ)、盛り上がっちゃって、へべれけです。」(^^;)
  と愛想よく受け答え!(本当は、酒などは飲んでいない。)
3.リクエストをされた
  お母さんと男の子に「超電子バイオマン」をリクエストされた。
  嬉しくて真剣に歌いすぎたら、怖がって途中で逃げられた。(TT)
  〜1984.9.1のお昼の出来事でした。(当日のメモが出てきました)
  珍しくお昼にやったのです。女性メンバーは昼にしか参加出来ないということで。

など、など楽しい?エピソードで一杯です。


◎桜島夜間一周
 鹿児島大学の主催の桜島夜間一周(約40km)に、漫同のアニソン好きメンバーも便乗しました。
なにせ一晩中歩いている訳ですから、その間、歌わない手はありません。
ずっとアニソンを皆で歌いながら歩いていたら、後方の集団も、アニソンを
歌いだしたではないですか!
 しかし、漫同アニソン班は持ち歌数が違う!あちらはそのうち曲が出なくなり、
こちらがドラえもんの「ドレミちゃん絵描き歌」を歌いだしたとき、
「負けた〜」の声が遠くに響いたのでした。


◎屋久島合宿
 1982年、屋久島・「屋久の子の家」合宿でのこと。
3泊4日で何曲歌えるか?
行き帰りのフェリーで、海辺で、キャンプファイヤーで、歌いに歌いました!
帰りのフェリーでは、船酔いで潰れる者もいる中、私(S56虎南とらな)とS56充毅圧さんで、
プリンプリン物語挿入歌メドレーを歌って総曲数を稼ぎました。


◎新歓ピクニック
  アニソン班という言葉が使われたのは、いつからだったのか?
 ここに一つの資料があります。
 1983年の吉野公園新歓ピクニックの際に、S56入生が芸としてアニソンを歌った
 時の前口上の下書きです。
 「漫同アニソン班を憶えている者は幸せである。心豊かであろうから。
 私たちはその記憶を記されて、この地上に生まれて来たにも関わらず、
 思い出す事の出来ない性(さが)を持たされたから。
 それ故に、アニソン班3年生の歌う次の歌を伝えよう。」
 (聖戦士ダンバインのオープニングのパロですね。)
 この時、歌ったのは、
 「ダンバインop」「マグネロボガキーンop」「スプーンおばさんend」「宝島op」の4曲でしたね〜


◎学祭模擬店
 学祭のテントは、毎年どのサークルも盛り上がってますよね!
しかし、私は、あの晩の異様なまでの盛り上がりを生涯忘れません。
 1983年の大学祭のテントで、皆の歌うアニソンの熱は最高潮に達し
そして、あの伝説の「超時空世紀 オーガス」のエンディングテーマ「心はジプシー 」を
S57大津屋虫雄さんが歌う!
「ライライラ・ライライラ・ライライライ フ〜・ン〜・ジプシ〜!」
その時の皆の一体感は、実にえに言われぬものでした。
(ちょっと危ないトランス状態だったかも)
「昨日のために涙! 明日のためには愛!」
今もそのメロディーは、私の頭の中に響き続けています。

あなたの漫同アニソン活動の思い出も募集中です!




●会則

画:鹿児島大学漫画同好会会則(A4縦コピー)

 鹿児島大学漫画同好会会則です。
会則改正などのために、例会で何時間も審議を重ねた夜が、つい昨日のように思い出されます。

会則改正で印象に残っているのが、
「例会は、1〜3回生の2/3で成立」
「例会での議題は、例会出席者(4回生以上も含む)の過半数で可決」
などですね。

ようは、「4年生以上は例会への参加が厳しいが例会は成立させたい。
けれど、4年生以上でも参加した場合は、ちゃんと決定権があるようにしたい。」
ってことです。涙ぐましい救済措置ですね。





●模型班




画1&2:S57大津屋虫雄さん(B7縦折込:ガレージキット説明書)〜1/10 SCHOOL GIRL in UNIFORM
画3  :S57大津屋虫雄さん(B7縦折込:ガレージキット説明書)〜1/12 CAT-EARED JOJO


 模型班は、模型好きが集まったチームですね。
実際のところ、模型班として正式に班活動を行っていたわけではないと思います。
しかし、その活動は目覚しく、特にS57大津屋虫雄さんのオリジナルガレージキットは
プロもたじろぐ程の出来でした!
当時のファンロードでも、カラーページで大きく紹介されたんですよ。

 他に、S57化石昭さんも「アニメージュマスコットキャラMSジュジュ虫」を作成!
(当時のアニメージュの表紙とかに載っていたキャラを、ガンダムのモビルスーツ風に
仕上げたって奴ですね。こちらは販売用ではありません。)
 それらの作品群は、夏の作品展でも展示され、皆の注目の的でした。

 模型班のメンバー構成は、

S57:大津屋虫雄さん、化石昭さん
S58:裸電球さん

他、多数のはず・・・情報下さい!

2000.07.21 S57化石昭さんのメールより
 私は3回出品しましたね。
アニメージュに載ってたロゴ風MS
フラッカリー(できかけ)
チャーチル戦車




●マジン〜「ZEOG」(ゼオグ)

画:S57YASUFUMI!さん(A3大 横:作品展イラスト)

 「マジン」は、TOMCAT VoL.6〜10に連載された巨大ロボット漫画「ZEOG(ゼオグ)」の
前身といえるものです。タイトルは「MAZINE CORPS SERIES -THE RAGE OF MAZINE-」と入っています。
連載されたZEOGとデザインが微妙に違う激レア物イラストですね。
「ZEOG」は、そのストーリー展開や、台詞回しの巧妙さから、当時、「ラジオドラマ」の
絶好の題材でした。(^^;)

(「ラジオドラマ」は、向日葵館でTOMCATを台本にして、配役を決めて、
ラジオドラマ風朗読するといったものです。
それをそばで聞いている作者には、悶絶、卒倒ものだったと思います。申し訳ないです。)

 しかし、YASUFUMI!さん作の「獣鬼の島」(TOMCAT VoL.5)や「ZEOG(ゼオグ)」の台詞は、
本当にとても印象的でした!

「獣鬼の島」の
 「く、狂ってる!」
 「ヤヨイは、凄まじい姿で発見された!」
 「そして、終わった」
「ZEOG」の
 「冗談であればよかったんだ、だけど兄さん、これは事実なんだ、前世での」
 「や、奴は、不死身なのか!」
 「僕にはパワーがない、帰ることさえ出来ない、だから・・・今は眠るよ」
うろ覚えですが、とにかく「獣鬼の島」&「ZEOG」には、はまりましたよ、私は!

 (今回のイラストは、最初、写真で撮ったんですが、画材のせいか?フラッシュの反射が激しく失敗。
しかたなく、コンビニのカラーコピー機で撮ったのですが、A3までなので端が写りませんでした。
Ja-bowさんスミマセン。)

2000.07.31 S57Ja-bowさんの書き込みより
 あれは、高2の夏に書いた物で漫同時代に描いた物はないです(^^;
ZEOGへの名称変更は漫同に入会した時にマジンという名前が良くないと言われて、
すぐ変えてしまったので。
シリーズになってる絵がいくつか有るんですがピンクの空のヤツは
たしか漫同に入ってから描いた物です。
そのままZEOGのファーストシーンとエンドシーンのイメージになっています。
セットというか舞台のようなところで闘うというイメージが
日本の巨大ヒーローや怪獣ものの絵面として好きなのでその辺のイメージなんですね。




●作品展

画:S56碧真緒さん(A4横白黒コピー:作品展用量産ポスター)

 作品展は、今でも例年6月下旬から7月上旬に行われています。
大学祭が、どちらかというと商業主義&お祭りイベントであるのに対して、
作品展は、純粋に漫同会員の作品発表の場でありました。

 当時のらり報から、作品展集客数(アンケート回収数)をみてみると、
1週間で3百人程度だったようです。
これは、大学祭のガラクタ市などに比べるとすごく少ない!もっと宣伝をせねば!
というわけで作られたのが、上のような量産用ポスター(A4版白黒コピー)です。
(それまでのポスターは、一枚ずつ手書き(A2版広幅用紙)だったため、
目立ちはするものの、教養部、各専門の学部、実験棟、他などにばら撒くには
数が少なかったのです。)
 果たして、お客は増えたか? 残念ながら、それは記憶にありません。(^^;)

 作品展では、イラスト(テーマ&自由)の他に、
◎模型班〜模型展示(S57大津屋虫雄さんのガレージキット「ネコみみ娘」〜当時のファンロードに載った!)
◎漫画〜TOMCATの原画展示
とかの展示も行いましたね。




●学年誌

画:S56AIUEOさん(S56入学年誌「KATTE‖」の表紙に着色し、作品展に出品したイラストです。)


特定の学年のメンバーだけで作った本!それが学年誌です。
私が把握している年代だけでも下記のような沢山のコピー本が出版されました。

S55入生〜パララ
◎PARALA(55年度入学生特集/12月発行)

S56入生〜カッテ
◎読み人しらず(1982.3.31)
◎KATTE|(1982.11.9)
◎KATTE‖(1982.12.24)
◎KATTE|||(1983.8.7)
◎KATTE|V(1984.4.15)

S57入生〜パーティ
◎PARTY Vol.1(1983.3.21)
◎PARTY Vol.2(1983.12.18)

S58入生〜めまい
◎目眩その1(1984.3.1)
◎目眩Vol.2 (1985.3.17)


 この頃は、本当に学年誌花盛りでしたね。
私はS56入だったんですが、「KATTE」も、やはり燃えていました!
今、こうやって発行年月日を見てみると
「KATTE|」を11月に出したにも関わらず、12月にはクリスマス特集号だといって、
「KATTE‖」をもう出しているんですね。(^^;)
付録も、「メモ帳」、「オミクジ」、「KATTEを買ってKATTAにしようシール」とか
いろいろ。
(「KATTE」は、「買って!」って意味でつけた誌名です。)
「KATTE|V」は、背表紙をボール紙で作りこんで、まるでオフセット誌
みたいでしたね。
(ここらへんのアイデアや行動力は、あの「らり報」を創刊したS56湖積絵理穂さんの
力によるところが非常に大きいですね。)

 さらに卒業してからも、S56入の女性陣(砂爐紋さん、SEIRIさん、
碧真緒さん、三樹れもんさん)は、分厚い創作漫画本「四人衆」(1986.3.16)まで
出版して、鹿児島の同人誌即売会に出しちゃったんですからすごいものです。

 なんか、ほとんどS56入生の記事になって申し訳ありません。

求む!各学年誌の知られざるドラマ、製作のいきさつ等の語り部達!




●アクション班

アクション班は、コンパでヒーローの変身&名乗りポーズの真似をするというだけの班です!
私(虎南とらな)が大学1年の時(1981年)、ちょうど電子戦隊デンジマンの再放送をやってまして、
この5人の名乗りポーズをコンパでやったら受けるだろうと思ったのが始まりです。
当時のらり報の記事によると、初演は作品展の打ち上げコンパ(唐湊公民館)らしいです。
 それから、メンバーもコンパごとに随時募集?して、どんどん増えて行きました。

◎栄寿司〜電子戦隊デンジマンメンバー
S56虎南とらな(デンジレッド)
S57Ja-bowさん(デンジブルー)
S55岡流人さん(デンジイエロー)
S57時下きりほさん(デンジグリーン)
S57大津屋虫雄さん(デンジピンク)
 といった感じだったかな?うーむ、ちょっと記憶が怪しいです。
上記のお面は、S57時下きりほさんが紙で(!)作ってくれたもの。
物凄くイイ出来です。
この他に変身用のデンジリング(指輪)も紙で作ってくれたのに、現存していません。(TT)
 栄寿司では、「デンジスパーク!」の掛け声で、一人一人変身していったのですが、
S57大津屋さんの演じるピンクが、野太い男声で「デンジスパーク!」と叫んでしまい、
やり直しコールの嵐になったのもいい思い出です。(^_^)

◎豚太郎〜漫同戦隊(オリジナルポーズ)メンバー
S55向日葵さん
S56虎南とらな
S57化石昭さん
S57きりきりほ(時下きりほ)さん
S57YASUFUMI!さん

 アクション班のエスカレート振りはとどまる事を知らず。
ついには、自分のペンネームでのオリジナル名乗りポーズを編み出すに至りました。
 豚太郎は、西鹿児島駅付近にある焼き鳥屋さんで、S56充毅圧さんのバイト先でした。
3Fの広い畳の間を漫同で貸切状態で、アクション班には最高の場所設定でした。

 そういえば、「漫同プロモーションビデオ」(何かのコンテストで受賞してビデオカメラを
もらったんだよね)を、S59入生のメンバー中心で撮った時に、
アクション班(S59LINKさんとS56虎南とらな)も、ちょっと出させてもらいました。
あれ、バイク班とか、貴重な映像満載だったような。
ぜひ、また見てみたいけど、一体どこにあるのでしょう?

2000.07.14 S58苑海もと子さんより。
苑海もと子さんが、「漫同のマコちゃん」のお面を被って出演してたはず!

2000.07.19 S59さいた屋さんより。
 漫同プロモビデオとはですね、
大学の近所のS○NY直営AVショップが一回だけ企画したサークル対抗プロモビデオ合戦に
勢いで応募した5分ほどのビデオです。
 さいた屋が前日夜中に思いついたシナリオで、例会後にたむろ中の会員をかきあつめ、
店から借りた8ミリビデオで撮影1時間、編集3時間でぱっぱかぱーと作って、
なんと優勝してHi8をせしめてしまったというものですが、今はどこに?
ビデオカメラともども行方不明と聞いています。

2000.07.21 S58苑海もと子さんより。
 確かS59烏龍茶さんが、何故かデーモン小暮のお面を!!(笑)
声色を真似して、漫同の紹介をしてたような気がします。

2000.07.24 S59さいた屋さん、S59すねいるさん、S59やすねこさんの情報より。
 そうそう、撮影1時間なのは、初代Hi8のバッテリが1時間しかもたなかった
からであります。
 「まにあ」君にむかって「そこはペンの持ち方がちがーう!」
とかいってムチをぴしぱししていたのがたしかやすねこくん・・・
だったかと。だんだん思い出してきたなあ。

「お面」&キャストについて、覚えてる範囲で書きますね。
◎S59烏龍茶さん(会長)    デーモン小暮   かいちょ
◎S60つぐみ由紀さん      スライム     街頭インタビュア
◎S58苑海もと子先輩      漫同のまこちゃん 解説担当
◎S56虎南とらな先輩      素顔       アクション班
◎S59LINKくん       素顔       アクション班
◎S60Erich Ivan Polanskiさん 素顔       オチ担当(笑)
◎S59やすねこさん       サングラス    鬼の先輩
◎S59すねいるさん       まにあ      まにあ
◎S61あべ(たしか大)ちゃん
◎S61砂姫さん




●大学祭〜みこし(初代パー太郎&2代目メモル)

☆1983年「パー太郎」

〜らり報(1983年12月号)より。
画:S56AIUEOさん、レポート:S58星月きららさん、S57たまあきやさん、S56AIUEOさん

 漫同の大学祭での初みこしは、この「パー太郎」です。
デザインは、S57時下きりほさんの持ちキャラから。
(オバQがパーマンセットを装着したというキャラです。
+αとして、目が上下にラリっていますが。)

 とにかく、このデザインはインパクトがありました。(特にくちびる)
初みこしだけに、学外ランニングも1〜4年生まで初体験!
凄まじく盛り上がりまくりました。
最後は、班長のS57たまあきやさんを、皆で空高く胴上げ!

 らり報の当時の記事〜「くちびるの伝説」によると
班長:S57たまあきやさん
製作:S58星月きららさん、S58浅田沙織さん、S58本田佳武さん、他


☆1984年「メモル」

〜らり報(1984年11+12月号)より。画:S59さいた屋さん
とても面白くまとまった漫画レポートですね。
(クリックして、拡大して下さいね。字が読めるでしょうか?)

「髪の毛どうする。服は?」
「はいはい ちゃんと 考えてますよ」(実は何も考えていなかったりする)
・・・
雨で崩壊するメモル
「わーっ 前髪がない。」
「目から涙が 口から血が 服に穴がぁ」

(最終的に)
別に描いて貼り付けた目と口とほっぺた・・・
今後のみこし製作者には貴重なノウハウが満載。(^^;)

らり報によるとメンバーは・・・
設計:S59さいた屋さん(デザイン&製作)
ん〜、他のメンバーの詳細情報、痛切に求む!

2000.07.21 S58やすねこさんより。
「おい、しっかりしろ!」と言われたのは私です…(^^;
空きっ腹でストームをしたのがもとでつぶれてしまい、御輿には
参加せず、帰宅しました。
(現T氏の奥様に送っていただいた記憶があります)
この出来事以来、焼酎はめったに飲まなくなってしまいました(^^;。




●大学祭〜セル画班


 1981〜83年頃、セルは、大学祭のガラクタ市の目玉商品の一つでした。
セル画班は、学祭の間、一日中、セル&セルしおりを描いていたのでした。
個人所有の資材(塗料のアニメックス等)を使って、セルを仕上げていたのにも
かかわらず、報奨金等の見返りはゼロでした。(T_T)
〜らり報(1984年 11+12月号)の情報より

 サンプルを見てもらうと、色トレス、背景等、結構リキが入っているのが解ると
思います。これらは、売れ残ったのではなく、売り忘れていたセルしおりです。
(それくらい飛ぶように売れたんですよ。)

セル班のメンバーは、
S56:三樹れもんさん
S57:朱雀れねさん、化石昭さん、みぃ・きさん、聖月秋さん
S58:天羽綾さん、苑海もと子さん
他の方々です。
ん〜、まだ、いたはずです。情報募集中!

2000.07.13 H6生そばさんよりの情報追加。 (86年版「華麗なるエピローグ」にS58天羽綾さん、S57化石昭さん、みぃ・きさんの記述あり!)
2000.07.14 御本人の情報より。S57聖月秋さん、S58苑海もと子さん追加。



●三題噺(A4縦ケント紙)
「 三題噺(さんだいばなし)」は、決められた3つ題材を入れて漫画を描くという企画です。
「三題噺」はもともと落語用語で、TVの「笑点」とかでやっているあれです。
このときの御題は、「うずまき」「サンタクロース」「卵」でした。
例会でケント紙を渡されてその場で描き始めて、終わらない場合は、次の例会までの宿題でした。
自分はその場では終わらずに持ち帰り組でしたね。


画1:S54風亜侑さん(サンタの服は、何故赤いのかという考察)


画2(2P分):S54野亜明さん(ちょっとグロい、サンタ漁の話)


画3:S54大野ひで美さん(懐かしの向日葵館での、お料理の1シーン)


画4:S54ゆさん(サンタのお孫さんの話)


画5:S54SAROMONさん(イブの料理はどんなかな?)


画6:S54虎南とらな(可愛い子へのサンタのプレゼントは?)




●描き初め(A4縦ケント紙)&漫同カルタ(カルタサイズ)
 1982年の初例会?での「描き初め」です。
確か、ケント紙を渡されて宿題で描いてくるようにという形だったと思います。


画1:S54大野ひで美さん(可愛い女の子で、少年誌を総なめに!少年ジェッツ〜白泉社はいらない!
といってますが、あれから18年で、すでに少年ジェッツ(白泉社)は休刊しています。)


画2:S54渡田螢さん(描き初めは、やはりマジンガーZ。)


画3:S56湖積絵理穂さん(お正月は郷里で、惰眠とゲームとTV三昧。)


画4:S56三樹れもんさん(トリトン、ジュリー、ジョン・レノンのファンだというのがよく解ります。)

 新年企画は、他にも「漫同カルタ」〜分担してオリジナルカルタを作る!などがありましたが、現存しません・・・
そちらの内容は・・・

☆「ろ」〜ロボットは顔が命だよ。
(S54野亜明語録より。)
☆「い」〜今は伝説のハンメルン。
(S55向日葵さんがTOMCAT VoL.2に掲載した「ハンメルンの笛吹き<前編>」の後編が出なかったことに由来。)
☆「め」〜めったに見られぬアクション班。
(アクション班はメンバーが少ないため、なかなかコンパでの揃い踏みは見られないの意。)
☆「と」〜とんびにあぶらげさわられた。
(さらわれたではない。)
☆「そ」〜そして、終わった獣鬼の島。
(S57YASUFUMI!さんがTOMCAT VoL.5に掲載した「獣鬼の島」のラストシーンのナレーションより。)

などなど。(他に誰か覚えていませんか?)




●紙相撲〜観客





画1:S54風亜侑さん
画2:S54風亜侑さん
画3:S54風亜侑さん
画4:S56虎南とらな
画5:S54野亜明さん

 昔の夢の溜まり場「山口館」で行われた「紙相撲大会」の観客です。
もともとは、S54入風亜侑さんが買ってきた日本紙相撲教会認定の紙相撲の本(型紙付)で
やっていたのですが、規定(背の高さ、下手と上手の位置、背の傾き他)をクリアした上での
新力士ラッシュに至る!
「超電磁」〜左足と右足のそり方が違うことによる必殺技:超電磁スピンを持つ。
「一番」〜片腕がかぎ状に曲がっている。この腕が相手の頭にはまる必殺技:アックスボンバー。
「鬼怨」〜タマネギのような、ずんぐり体系。懐に潜り込むと、相手は面白いよう倒れる。
「明輝」〜魔法のプリンセス・ミンキーモ○のように入場前に大人に変身する。
デザインに、命名法に、物理法則に、ひらめきと知力の限りを尽くした紙相撲場所は、
「ちゃんと作られた15日間の取り組み表」を元に、幾晩も幾晩も行われました。
ちなみに、一切お金とかはかけていませんでした。
一時期、本当に紙相撲教会に殴り込みに行こうかと言ってました。だって本当に強いんだもん!
(他にも、調整力士、合体力士、左右非対称力士、いろいろアイデアがありましたね〜)

 親方のメンバーは、
S54:風亜侑さん、野亜明さん
S55:向日葵さん、岡流人さん
S56:虎南とらな




●キャラとポーズ(B5縦〜大学ノート)

左画
上:????さん、
下:S54たけもと和さん、S54野亜明さん
右画
上:????さん、S54風亜侑さん
下:S54とみたさん、S55岡流人さん

 「キャラとポーズ」は、「漫画のキャラのとっているポーズを、自分のキャラに置き換えて描く」
という企画です。回覧ノートや、例会で行われていました。
上のものは、回覧ノートからです。キャラは焼きそば好きの「伊賀カ○丸」ですね。

 S54風亜侑さんのところに、「全焼〜!?」とありますが、これは、風亜さんの住んでた
アパートが火事で全焼してしまった・・・という物凄い事件のことですね。(T_T)

 S54とみたさんの画は、とみたさんが食堂にいたところ、外人さんがいきなり入ってくるなり
「フライドライス!(焼き飯一つ!)」と言ったのに食堂の親父さんビックリ!
ってエピソードです。これから、しばらく「フライドライス」は、とみたさんの口癖になりました。




●アニメ班

画:S57時下きりほさん
(「よく、こんなに描けるね〜と」、S55向日葵さんに言われてたのを覚えてます。)

 アニメ班は、S55向日葵さんを中心に開かれていた活動です。
場所は、主に向日葵で行われ、いろいろな企画をこなしました。
◎キャラを連続コマで動かす(「とび箱」「かけっこ」などを書く)、
◎アニメ企画(独創的巨大ロボットアニメの企画案を作る)
これらが、毎回のように宿題で出されて四苦八苦しました。
当時の「らり報」を見ると、アニメ班用のスケジュールが例会活動とは別に刻まれております。

参加メンバーは、下記の方々。(他にもいらっしゃると思います。求む情報!)
S55:向日葵さん
S56:三樹れもんさん、碧真緒さん、SAROMONさん、虎南とらな
S57:時下きりほさん、YASUFUMI!さん

2000.07.26 ご本人の情報より、S57 YASUFUMI!さんを追加。〜「実はアニメ班の初期メンバーなのを忘れられてる」より